ALMOST PARADISE

2008・コロンビア – アメリカ

テレビをつけると、日本でも深夜枠で放映されているアメリカのコメディが流れていた。 画面の中に映っているアメリカ人たちは明るい照明のアパートで座り心地の良さそうな椅子に腰掛け、チョコレートマフィンを口に運んでいる。 彼らが働くニューヨークのオフィスは清潔感が漂っていて、時折映るマンハッタンの街角が旅情を誘う。

「俺もここで働いていたんだ…」 そう言うとダビッドは椅子に腰掛けてタバコを吹かした。 メデジンに住むダビッドは10年前にアメリカに渡った。コヨーテと呼ばれる密入国を斡旋するマフィアに130万円を支払い、カリブ海に浮かぶコロンビア領のサンアンドレス諸島から小型ボートでグアテマラへ、そして陸路でアメリカまで密入国、最終的にニューヨークにたどり着いた。一緒に渡ったコロンビア人女性と結婚し、その間には現在6歳になる子供も生まれた。

「息子はアメリカ生まれだからアメリカ国籍を持っているんだ。でも俺は密入国したから市民権なんてもらえなくてね」 ダビッドは闇で戸籍を買い、ドミニカ出身のアイヴァン・ディアスとして生活していた。しかし1年前に運悪く警察に捕まってしまい、捜査の結果、不法滞在がばれてしまう。 「ニューヨークに着いたら妻と息子に会ってみてくれよ。俺はまた戻るつもりだけど、金もないし今すぐには戻れないから」 いつの間にかテレビの中にあったニューヨークの町並みは、スペイン語のコマーシャルに変わっていた。 内戦、貧困、麻薬絡みの犯罪。残念ながら人々を旅へと奮い立たせる要素が、中南米には溢れている。 アメリカを夢見る人が後を絶たないのも無理はない。

〜コロンビア−パナマ国境〜
メデジンから飛行機で30分ほど。カプルガナに到着する。目の前にはエメラルドグリーンのカリブ海が広がり、南国の音楽が流れる。ちょっとしたリゾート地だが、パナマとの国境でもあり、陸路で国境を越える密入国者が集まる場所でもある。 ハイメはコヨーテを始めて7年になる。彼らにとっては密入国を斡旋するというよりはガイドのようなものだ。ちょうどキューバ人が一人、その日のうちにパナマへ渡るという。すぐに支度をするように言われ、ハイメともう一人のコヨーテ、キューバ人とともに美しい海に背を向けてパナマ方面へと向かった。

ダリエンと呼ばれるコロンビアとパナマの国境地帯は、ゲリラと右派民兵組織が戦闘を繰り返し、麻薬密輸のルートにもなっている。密入国者たちはそんな脅威をくぐり抜けていかなければならず、コヨーテ無しで国境を越えることは難しい。逆にコヨーテに騙されて有り金を全て盗られるということも後を絶たない。ハバナのレストランで料理人をしていたというそのキューバ人は、旅のリスクを知ってはいたが、アメリカへの夢を諦められなかった。

「お前みたいにどこにでも自由に行けるパスポートを持っているやつはいいよな。飛行機に乗る金くらい工面できる。でもキューバのパスポートで自由に入国できる国がどれだけあると思う?キューバは窮屈だ。アメリカに渡って金をもうけたい」 カプルガナを出発して4時間ほど、皆の表情に疲れが見え始めた頃パナマとの国境に到着した。 「お前はここまでだ。これ以上は着いてこないでくれ」 疲れた表情のキューバ人はそう言うと、ジャングルの奥へと消えていった。

〜パナマ−コスタリカ〜
パナマを抜け、コスタリカへと渡った。中米では比較的経済状態が良いため、多くの不法移民にとって終着点の一つとなっている。マクドナルドではセットの価格が5ドルするが、それでも人々は列を作る。 パナマとの国境では、白タクが群れを作って客を待っていた。白タクたちは不法移民も、銃器も、麻薬も何でも運ぶ。そんな場所は決して居心地が良いとは言えない。

国境ゲート付近をふらついていると、声をかけられた。 「お前、中国人か?アメリカに行きたいのか?」 中南米に渡り、アメリカに向かうというのは最近の中国人不法移民の定番ルートとなっていた。コヨーテかと聞くと、そうだと言い、車に乗るように促された。「警察が見ているから早く!」 窓全てに黒いフィルムが貼られたやくざ風のセダンのなかで、エルネストと名乗るその男は説明を始めた。ここから首都まで600ドルで運んでやる。首都に着いたら他のコヨーテに引き継いで、その都度金を払って北へ進む。全てのコヨーテはつながっているから問題ない。一方的に説明するエルネストに、自分が日本人で取材をしていることを告げると、彼は「しまった」というような表情を見せた。ただそこまで気にしていないのか 「2週間後にコロンビア人が数人来る。その時ここに来たら一緒に運んでやる」。

2週間後、国境には以前と同じように薄気味悪い空気が漂っていた。夕方になると騒ぎだす鳥の群れが演出に一役買っている。約束の時間に国境近くのファーストフード店で待っていると電話が鳴った。 「エルネストだ。店の外にいる早く出てこい」 外を見ると見覚えのあるセダンが停まっていた。ドアを開けて乗り込む。運転席にエルネスト、後ろの席にはエルネストの仲間のアルフレッド、その隣に若い女性が座っていた。 「今日は一人だけだ。彼女をサンホセまで運ぶ」 まだ若いその女性は、 白いポロシャツに白の短パン。着の身着のまま逃げてきたような格好をしていた。 彼女はカタリーナと言った。28歳で3人の子供をコロンビアに残してきた。夫の暴力が原因で家出を決意したという。しかしコロンビアでの稼ぎでは子供を養っていけない。彼女の頭の中にはアメリカが浮かんだ。

ボゴタからカプルガナへ飛び、ダリエンを越えた。まずはコスタリカで働いて、アメリカに行くお金を貯めるのだという。 「コヨーテが信用できるか分からないから今この瞬間も怖い」 そう話すカタリーナは、緊張した面持ちで外をずっと眺めていた。 コヨーテが車で人を運ぶ場合、先にもう一台車を走らせる。警察の検問が頻繁にあるためだ。もし見つかれば、最低でも5年は刑務所に入らなくてはならない。 途中、必ず通らなくてはならない検問があったが、夜は警官がいない時の方が多い。先に行っているはずの車から連絡がこないので、この日も警官がいないものと思っていた。 「まずい。いる」 エルネストが舌打ちをした。どういう訳か連絡は来ていなかった。しかしすでに検問の近くまでさしかかり、今さら引き返すのは不自然極まりない。「カメラを隠せ、動くなよ」 そう言うとエルネストは検問の警官の言う通りに車を停めた。警官がトランクを開けるように促す。懐中電灯で顔を照らされ、次に何と言われるのかと思ったが、結局すんなりと通してくれた。 1分ほどして皆の表情に笑顔が戻った。 「危なかった…」 検問からさらに3時間ほどして車は首都に到着した。カタリーナはこれから仕事を斡旋してくれるコヨーテの仲間の家に行くという。エルネストが指示し、カタリーナはアルフレッドと一緒にまだ夜の明けない町の中へと消えていった。

〜グアテマラ−メキシコ〜
メキシコとの国境近くの海岸に打ち寄せる波は、これから始まる旅に対して大きな不安を増幅させはするものの、期待を抱かせるものではない。 今日の波は前日ほど高くないが、空は黒い雲で覆われ、雨が降っている。昨日一度出発したが、ジェットコースターのようにうねる波に、明らかに定員オーバーの小舟は耐えることができなかった。

コスタリカを抜けるとグアテマラとメキシコの国境へと向かった。途中、ニカラグア、ホンジュラス、エルサルバドルを越えたが、これらの国境はほとんどノーチェックで、簡単に越えることができる。 グアテマラの首都からバスで5時間ほどの町、サンマルコス。 悪名高いメキシコとの国境の町、テクンウマンはここから3時間ほどだ。運良く良いコヨーテが見つかり、海岸まで連れて行ってくれることになった。 「テクンを陸路で抜けるのは危険だ。今は船でオアハカまで抜ける手段がある。 」 海岸に着くと、コヨーテのジョバンニは、そんな言葉を残してサンマルコスへと戻っていった。

海岸近くの隠れ家 には、これからメキシコへ渡り、さらにアメリカを目指す密入国者たちが、次の船まで寝泊まりしていた。コロンビア人、ブラジル人、エルサルバドル人、グアテマラ人。皆、アメリカンドリームに憧れて国境を越えてきた密入国者たち。 「さぁ出発するぞ!」 コヨーテの一人の声に導かれ、小さなボートに乗り込む。とは言え、メインのボートは沖に停まっているので、まずはそこまで辿り着かなくてはならない。ブラジル人のカップルとエルサルバドル人の3人、そしてコロンビア人のセニョールが我先にと席を取る。 「定員オーバーだ。戻ってくるからお前らはここで待っていろ」 そう言われ、グアテマラ人3人と海岸で待つことになった。沖は静かだが、入り口の波はサーフィンができそうなほど高い。小さなボートはYAMAHA製モーターをフル回転させて大きな波に挑んでいく。皆応援するような表情でそのボートが波を超える様を眺めている。突然、ボートが止まった。船頭が必死にモーターのワイヤーを引っ張っている。モーターが壊れたようだ。まだ海岸のすぐ近くとは言え、高い波が容赦なくボートに襲いかかる。次の瞬間、3メートル以上はある波が横っ面に激しくあたり、そのままボートをひっくり返した。乗っていた密入国者たちが海に放り出される。まるで映画の一シーンのような光景に浜辺にいる全員が一瞬凍り付く。出発前は陽気だったラティーノたちの顔から血の気が引いていく。 「助けろー!!!」 コヨーテの一人が叫び、皆で海に飛びこむ。エルサルバドルからの3人は全く泳ぎ方を知らないようで、足のつく深さでも溺れている。何とか海岸まで引き上げるが、一人の口からはクリーミーなビールの泡のようなものが出ている。人間が「泡」をふく姿を初めて目の当たりにし、ショッキングな光景が思考を停止させる。 「一度戻るぞ!早くしろ!」 コヨーテが心臓マッサージを施し、息を吹き返したそのエルサルバドル人を担ぎ、隠れ家に戻る。しかし20分もして 「今日は海が静かだから絶対に出発する。早く準備しなさい!」 グループのボスの女性の口から出た言葉に唖然としてしまう。 「早く!」 溺れたエルサルバドルからの3人を除いた5人と、同行するコヨーテの計6人はしぶしぶ海岸へ足を向けた。 新しいモーターを調達し、何とか荒い波をくぐり抜け、沖に停泊しているボートまで無事にたどり着くことができたものの、真っ暗な太平洋を進む旅への不安は皆隠せない。 「伏せて!絶対に頭をあげるな!」 次はメキシコの沿岸警備の船。 船頭のこわばった顔を見ていると、旅への不安が増幅される。 「本当に無事に着くのかな…」 陽気なラティーノたちから漏れた言葉が真っ暗な太平洋に吸い込まれていった。

〜メキシコ−アメリカ国境〜
結局、12時間ほどかけてメキシコに到着した。船が到着した時には皆憔悴しきっていた。隠れ家ではコヨーテ一味の女性がサンドウィッチと温かいコーヒーを用意して待っていてくれた。これからさらに続く旅に向けて鋭気を養わなくてはならない。 ここから先は電車でアメリカ国境まで進むのが通例となっている。貨物列車の屋根に乗りアメリカ国境まで進むのだ。貨物列車での旅は、不法移民を狙うギャングがいるため危険だが、最も安くいける手段だ。一眠りすると、ボートに乗っていた一行は貨物列車が到着する時間に合わせて隠れ家を出て行った。

国境の町レイノーサにはCasa del migrantesという教会が運営する不法移民のためのシェルターがある。移民の家と称されたこのシェルターはグアテマラからアメリカまで至るところに存在し、不法移民たちに宿と食事を提供している。ある日の朝、3人の中米からの不法移民が宿を出て行った。しかし夕方にもう一度シェルターを訪れるとその3人が同じように座っている。 「川を越えたところで国境警備に見つかってさ、すぐに強制送還されたんだよ。でもまた明日にでもトライしてみるよ」 アメリカに行きたいラティーノたち、それを追い返すアメリカ人。いつまで経っても止むことのないイタチごっこが延々と続いていた。 レイノーサは麻薬マフィアに支配され、コヨーテたちもその配下で働いている。コヨーテ無しでも国境を渡ることはできるが、コヨーテを頼った方がより安全に渡ることができる。ルートだけでなく、マフィアの息がかかったギャングに襲われる心配もない。

国境のリオグランデ川沿いを歩いていると移民たちの群れに遭遇した。老若男女の10人以上のグループで、ちょうどアメリカ側に渡ろうとしていた。監視の目が光る国境のゲートから300メートルほどしか離れていないが、皆そんなことはおかまいなしに渡っていく。川幅は50メートルほどしかなく、アメリカは目と鼻の先だ。うち一人の女性が流暢な英語で話しかけてきた。 「あんた警察じゃないだろうね」 まるでネイティブの英語なので不思議に思い訪ねると、意外な答えが返ってきた。 「5歳の時に両親に連れられて渡ってね、向こうで育ったんだ。アメリカのパスポートも持っていた。でもちょっと警察と問題があって取り上げられて、メキシコに送り返されたんだ。でもこっちには家族なんていないからアメリカに戻るのさ」 まさか市民権が取り上げられることがあるとは思いもしなかった。アメリカで生まれない限り、アメリカのパスポートを持っていても身分が保証されない。それがアメリカなのだとその女性は語った。 結局そのグループは5分ほどで川を渡りきり、アメリカへと密入国を果たした。

〜ニューヨーク〜
コロンビアでダビッドに出会ってから3ヶ月後、9月も終わりにさしかかったニューヨークは序々に寒さが増しつつあった。クイーンズにあるコロンビア人のオルランドのオフィスに向かう。旅行代理店を経営するオルランドは40年近く前にニューヨークにやってきて以来、助けの必要なコロンビア人たちの面倒を見てきた。映画のモデルにもなり、ニューヨークのコロンビア人社会では一目置かれた存在だ。ダビッドの妻と息子の話をすると、外はうるさいからここからかければいい、と電話を貸してくれた。 離れ離れになってはいたが、きっとダビッドがニューヨークにまた来る日を待ちわびているのだろう、そんな美しいストーリーを勝手に期待していた。電話に出たダビッドの妻はスペイン語訛りの英語で、少し突っぱねるように言った。 「あの人には言ってないけど、もう私は合法的な身分になったんです。こっちの人と結婚したんです。子供はいるけど、私はダビッドとはもう何の関係もないですから」 こちらの表情を見て悟ったのかオルランドが言った。 「ニューヨークで合法的な身分がなくて生きていくのは大変なんだ。仕方のないことなんだよ」

初出:月刊プレイボーイ最終号(2008年11月)

実際に移民たちと旅をしたルート=約4500km