Kyotographie 2019での「Ibasyo」のインスタレーションビュー
夜12時を少し過ぎた頃、いつものように携帯電話が鳴った。「また切っちゃった…。でも大丈夫だよ…」大丈夫に聞こえないさゆりの声が電話口から聞こえてきた。「あたしなぁ、レイプされたんよ…。それから自分の価値とか感じられないようになってなぁ…。自分のこと大切にしなさいって色んな人に何度も言われたけど、こんな汚い自分のこと大切にって言われても、どうしたらいいのか分からんのよ」生気の抜けた声が泣き声に変わる。少したってまた 「ごめんね、大丈夫だよ…。明日も仕事がんばるよ…。」 貧困、レイプ、いじめ、家庭内暴力。自傷行為の裏にあるもの。それらは今まで聞いたことはあっても、実際に近くに感じたことのないものだった。 日本に存在する「恥の文化」が良い意味でも悪い意味でも、それらが表に出ることを防いできた。東京から1時間のところに貧困は存在し、借金取りが毎日やってくる生活があった。レイプは僕が卒業した大学内でも起きていた。深い心の傷は彼女らの自尊心を奪ってしまった。うつやパニック障害のためまともに働くことができない状態に、自らの価値を認識できず、自分は役に立たない存在と思いこんでしまう。その結果の自傷行為。「価値がない(と思い込んでいる)自分」を傷つけることで、自らの存在を肯定しようとする。しかし、その傷を見ては「してはいけないことをしてしまった」と自己嫌悪に陥る悪循環。そんな出口の見えない世界で、 彼女たちが自らの居場所を感じることは難しい。彼女らは自らの行為を正当化しようとは思っていない。ただ彼女たちの存在は、日本が抱えている現代社会の陰の一端を示している。 「自分のことを大切にするってどういうことなのかな…。誰か教えてくれないかな…。」そう言ってさゆりは電話を切った。